いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。今日も、聖書の言葉に聞いていきましょう。
神を信じて生きていくか、それとも神を信じないで生きていくかは、人に大きな生き方の違いをもたらします。聖書は、この世界も人間もすべて神が造ったことを教えています。ですから、この世界で起こるどんなことにも、私たちの人生の中で起こるどんなことにも神の目から見れば、すべてに意味があります。神がこの世界を動かしていることを知っている人は、理解できないことが起こった時、神に訴えることができます。
旧約聖書の詩編には、神を信じて生きている者の素直な神への訴えが記されています。その中の一つ、詩編22編2節には、こう記されています。「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」
神を信じている人であっても、理解できない苦しみにあった時は、「神に見捨てられたのではないか」と思ってしまいます。神から見捨てられたのではないかという思いは、決して不信仰から来るのではありません。神が共にいてくださると信じているからこそ出てくる思いです。
神を信じている者は、苦しみの中で、自分の素直な思いとして、「なぜこのわたしを救ってくれないのか」と大胆に神に訴えることができます。こうして、神を信じている者は、どんなことも神に訴えることで、襲ってくる困難を乗り越えていく力が与えられます。