いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
ヨセフの妻となるはずのマリアは、結婚前に身ごもりました。それを知ったヨセフは、マリアと「ひそかに縁を切ろうと決心し」(マタイ1:19)ました。ヨセフはここで、マリアを訴えることもできました。普通に考えたら、マリアがヨセフを裏切ったとしか考えられない状況です。ヨセフは、堂々と訴えて、自分の正しさを主張することもできました。訴えられたらマリアは死刑になります。ヨセフはそうはしませんでした。
ひそかに縁を切る。それはヨセフが、マリアの命とお腹の子の命を守りたいと考えたということです。自分の名誉を守るよりも、命を守りたい。たとえ自分を裏切った相手であっても。
ヨセフは、「正しい人であった」(マタイ1:19)と言われています。マリアを訴えることだって、正しいと言えば正しいことです。けれどもヨセフはそうはしなかった。
正しい人と聞きますと、私たちは、間違ったことを認めない人をイメージするでしょう。それはヨセフもそうでした。間違ったことが起こったと思った時、何もなかったかのようにふるまうことはできませんでした。しかし、この人は、間違ったことを認めないという時に、自分の立場だけで物事を考えることをしませんでした。自分のことも相手のことも同じように考えて、一番良い方法を探すことができる人でした。神様がヨセフを選んだことが、良く分かる話です。私たちも、このヨセフを模範としたいのです。