いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
イエス・キリストの誕生は、前もって、母となるマリアに予告されました。しかし、マリアに伝えられた話は、ごく普通の女の子にとっては途方もない話です。それは、救い主を生むということだけではありません。その時、マリアはまだ正式に結婚していなかったのです。
マリアは聞きました。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(ルカ1:34)。このマリアの言葉に気を付けたいと思います。「どうして、そのようなことがありえましょうか」と聞きますと、反発しているように感じます。
しかし、聖書が書かれたもともとの言葉では、この言葉は、「どのようにしてそれが可能となるのですか」というふうにも訳すことができる言葉なのです。つまり、ありえない、と言っているのではなくて、もしそれが実現するとしたら、どういうかたちで実現するのですか、と前向きに理解しようとしているのです。実際、この後、その質問に答えて、どういうかたちでそれが実現するのか、という話(ルカ1:35-37参照)になっていきます。
これは、私たちも心がけたいことです。どんな時でも、まず、神様の御心を理解しようと努めること。とんでもないと思うようなことがあったとしても、そこにおいて神様が働いておられるかもしれないということなのです。 マリアはそのお手本を私たちに示してくれています。そして、そのような態度で臨む時、神様は私たちを納得させてくださるのです。