おはようございます。坂戸教会の酒井啓介です。
今週、聖書のルツ記という書を見てきました。ナオミという女性の人生に大きな波がありましたが、神の祝福が豊かに与えられました。
ナオミの人生の前半と後半を見ますと、ナオミは最初、すべてを失い、最後、豊かに与えられました。最初に家族に死がありました。最後に命が与えられました。最初に涙がありました、最後には喜びの声が溢れました。
聖書の中でヨブという信仰者は、すべてのものを失った時こう言います。「主が与え、主が取られたのだ。」(ヨブ記1:21・口語訳)これは、神が与え、神が取られた、という意味です。ヨブは失った現実を精一杯誠実に受け止めています。
しかし、ナオミは失っても与えられたのです。今、ヨブの言葉より踏み込んで次のように言えます。主はとられ、主は与える。主はとられ、主は与える!失った中でさえ、もう、与えられ祝福されると希望を持てるわけです。
キリストは復活の希望をはっきりと表しました。キリストは十字架の死がありました。命も栄光も全て失いました。しかし3日目に蘇り、栄光に満たされ祝福され、今も生きておられます。同じように主はあなたを祝福してくださいます。神は新約聖書で次のように述べます。「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。」(2コリント3:18)