ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
日本には「鰯の頭も信心から」という言葉があります。信じ方次第で、信じる対象がどんなものであっても、ありがたくなるということです。大事なのは、信じる対象よりも信じる心、ということでしょう。
クリスチャンになっても、その傾向が残ってしまうことがあります。自分の方を見て、ちゃんと信じているだろうかとか、まだまだ信仰が足りないとか。しかしキリスト教で大事なのは、信じる対象なのです。自分がどんな状態でも、主イエス・キリストを信じてつながっているなら、それでいいのです。
ある父親が、悪い霊に取りつかれている子供を助けてほしいと、イエス様にお願いしたことがありました。父親は「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」と言います。それに対してイエス様は「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」と言われます。父親はあわてて「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」と言います。マルコによる福音書9章14節以下にある話です。
この父親は、イエス様に言われて、ではもっと信心を強めようと努力したのではありません。「信仰のないわたしをお助けください」と、そっくりそのまま自分をイエス様に委ねました。自分の側がどうであっても、信心さえおぼつかなくても、全部ひっくるめて、主イエス・キリストに、お助けくださいと委ねるのです。イエス様はこの父親の願いを受け入れ、親子を助けました。