皆さんお元気にお過ごしですか。私は今週一週間この番組を担当させていただきます、西武新宿線花小金井駅南口グリーンロード沿い徒歩7分、花小金井教会牧師の小堀昇と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
山は神を見上げるためのキャセドラルだ。このように言った聖書学者がいましたが、イエス様は山に登り、開口一番こう言われました。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)。有名なゴールデンルール、山上の垂訓の語り出しです。
(聖書の)原文では「幸いである」という言葉、「マカリオイ」から始まります。文語訳では「幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者。」このように言われております。これは「僕は幸せだな」という感嘆表現です。イエス様は思わず「僕は幸せだな」、叫び出しておられます。そしてこれは「ハッピー」という英語ではなくて、「ブレッセッド」という英語が使われています。その状態、環境を問わず、私たちは幸せだと感じることができる、そういう言葉です。
私たちの心の状態がどのようなものであったとしても、神様が共にいてくださる。ならば私たちは既に幸せなのだと、イエス様は語られました。そして、それはまず具体的に「心の貧しい者」なのだと言われます。心が貧しい、これは生きていくために必要な物質が不足しているという言葉なのです。心が一人で生きていくことができないのです。心の中に、一人で生きていく物質が不足している、もういっぱいいっぱいなのです。そのことを自覚している人、そういう人はどうするのでしょうか。
神様に頼ります。自分の弱さを知り、認めて、神様に頼ります。そのような人こそ幸いな人なのだ。イエス様はお語りになりました。あなたの上に神の祝福を心からお祈りいたしております。