いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
キリストは、人から出て行った汚れた霊について、話をしたことがあります(マタイ12:43-45参照)。人から出て行った汚れた霊は、休む場所を探しますが見つかりません。そこで「出て来たわが家に戻ろう」と言うのです。これほど不快な話があるでしょうか。汚れた霊にとって私たちは、どこよりも一番落ち着く「わが家」だというのです。
汚れた霊が戻ってみると、家は空き家になっていました。そして、家は「掃除をして、整えられていた」と言われています。それを見た汚れた霊が、これでは住みづらいと思ったのかというと、そうではありませんでした。家の中がきれいになっているのを見て、汚れた霊はこれは好都合とばかりに、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れてきて、住むことになるというのです。
このたとえ話でキリストは、私たちを家の建物にたとえています。家の中にいる私たちではなく、家そのものが私たちです。そして私たちがどれだけ自分の心の中を整えようとも、家に主人がいなかったら、悪霊にとっては良いことしかないということなのです。
私たちは、キリストを家の主人にしているでしょうか。キリストの言葉で心の掃除をするのではなく、キリストを家の主人にしたいのです。私たちは、私たちという家を、神の家にすることができるからこそ、キリストはこのような話をしてくださったのです。