いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
キリストは、ご自分の元に集まってきた人々に、あなたがたは「地の塩」であると言いました(マタイ5:13参照)。あなたがたは地の塩になりなさい、そのために努力しなさい、と言ったのではありません。「あなたがたは今、現に地の塩である」と言い切ったのです。だから、どうすれば地の塩になれるかということは言わず、「塩が塩気を失ってはならない」と話を続けました。
そして、キリストはその話の最後に「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになる」と言います(マタイ5:16参照)。この「立派な行い」とはどのような行いなのでしょうか。もし私たちが何か立派なことをしたのなら、私たちがほめられることはあっても、人々が神様をあがめるようにはならないはずです。何より、キリストの話を聞いていた人たちは、ただキリストの所に来ただけで、それ以外のことは別に何もしていないのです。
しかしそれだけで、世間の人とは決定的に違うのです。世間の人はキリストのところに行こうとはしません。まして、キリストの話を聞こうとも思いません。しかし、今キリストの前にいる人々は、他のことよりもキリストを第一にしたのです。そうしているうちに私たちを見て、周りの人々は神様をあがめるようになる、それがあなたがたが地の塩であるということだ、とキリストはおっしゃってくださっているのです。