いかがお過ごしですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
旧約聖書の『イザヤ書』第49章に、神様の愛を教える、有名な御言葉があります。「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた、わたしの主はわたしを忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。」(イザヤ49:14-16)
母親は、自分の乳飲み子を忘れることはありません。しかし、たとえ母親が忘れることがあったとしても、神様が私たちを忘れることは決してないのです。神様は母親の愛にまさる愛で、私たちを愛してくださっています。それゆえ神様は、大切な独り子であるイエス・キリストを十字架の死へと引き渡されたのです(ヨハネ3:16参照)。
神様は御子イエス・キリストを十字架の死に引き渡されることによって、私たちを罪と死の支配から救ってくださいました。イエス・キリストの十字架は、神様の愛のしるしであるのです(ローマ5:8参照)。
神様だけではありません。イエス・キリストも私たちを愛して、自ら命を捨ててくださったのです(ヨハネ10:11参照)。神様の愛とイエス・キリストの愛は、十字架によって示されています。どうかあなたも、神様の愛とイエス・キリストの愛を受け入れてください。