いかがお過ごしですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
イエス・キリストが十字架につけられて苦しまれているとき、ユダヤ人の指導者である祭司長たちは、イエス様を侮辱してこう言いました。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」(マタイ27:42-43)
十字架から降りること。それはイエス様にとって最大の誘惑でした。なぜならイエス様は能力として、十字架から降りることができるからです。しかしイエス様は十字架の死が神様の御心であることを知っていたので、十字架から降りないのです。
神様の御心、それは罪のないイエス様が多くの人の罪を担って十字架につけられて死ぬことにより、神様の救いが成し遂げられることです(イザヤ53章参照)。イエス様は神様の御心に従う神の子であるがゆえに、十字架から降りないのです。
イエス様は自分を救わないことによって、自分の民を救ってくださる王様です。祭司長たちは「今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば信じてやろう。」と言いました。しかしそれは信仰とは呼べない、神様に対して正しくない態度であるのです。