いかがお過ごしですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
新約聖書の『ヘブライ人への手紙』第11章1節に、こう記されています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
この御言葉の前提には、神様から与えられている約束があります。神様の約束を信じて、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること。それが信仰であるのです。
旧約聖書の『創世記』第15章にアブラムという人が出てきます。神様はアブラムを、大いなる国民にすると約束してくださいました。しかしアブラムは高齢であるにもかかわらず、子どもが与えられていませんでした。そのようなアブラムを神様は外へと連れ出してこう言われるのです。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5)アブラムはその神様の御言葉を信じました。
アブラムは神様の約束を信じて、子どもが与えられるという望んでいる事柄を確信し、すでに子どもが与えられたかのように振る舞うのです。そのアブラムの信仰を神様は正しいと認めてくださいました。私たち人間にとって、神様の約束を信じて、すでに実現したかのように振る舞うことは、神様に対して正しい態度であるのです。