おはようございます。松戸小金原教会の三川です。
私たちは自分の理想とする人生を思い描き、その通りになることを願って神に祈ることがあります。でも時として、その願いや祈りが聞かれず、自分の思いとは違う人生に導かれることもあります。そういう時、自分はまるでロボットのように神の指示に従って生きなければならない、と思わされることもあるでしょう。でも本当にそうなのでしょうか。
聖書には、聖書の神がご自分の願いではなく、人々の思いを実現していく話があります。古代イスラエルの人々は、聖書の神にのみ祈ることによって宿敵ペリシテ人に打ち勝ちました。彼らにとって神はとても心強い存在でした。しかしイスラエルの人々は、その神がありながらも「ある存在」を求めていました。「王様」です。
実はこの時、イスラエルの人々は12の部族がまとまっているにすぎない、いわば烏合の衆でした。一方で、周りの敵には強そうな王様や軍隊があり、イスラエルの人々にはその存在がうらやましくて仕方がありませんでした。彼らは神に向かって、王様をくださいと願いました。
聖書の神からするととてもガッカリな願いです。なにせ、これまであらゆる敵から守ってきたのはご自分だったからです。その神がいながらも、目に見えるリーダー欲しさにイスラエルの人々は願い、神はその願いをお受けになりました。(以上サムエル上10:17-24参照)
聖書の神は、ご自分の思いのままに人を操るお方ではないからです。人の思いを汲んでくださるからです。そして、人の思いや考えを用いて、より良い方へと導いてくださるのです。