あさのことば 2021年6月 8日(火)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

小峯明(船橋高根教会牧師)

小峯明(船橋高根教会牧師)

メッセージ: 礼拝する存在としてのわたしたち



 いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
 今生きている人類を、ホモ・サピエンスと言います。知恵のある人という意味です。オランダの歴史学者であるホイジンガは「ホモ・ルーデンス」という言い方をしました。これは遊ぶ人という意味で、遊ぶことが人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だとする人間観から来ています。その外にも「ホモ・エコノミクス」利益を追求する人間とか、「ホモ・ロクエンス」言葉を持つ人など、人間の特徴から定義する名称も生まれました。

 それらの中で、ロシア正教のアレクサンデル司祭は「正教会の信仰に生きる者は、ホモ・リトゥルギクス(homo liturgicus)『神礼拝に生きる人間』なのです。」(『魂への配慮の歴史12』C.メラー編 加藤常昭訳 日本キリスト教団出版局 p.254)と語っています。リトゥルギクスはもともとのギリシャ語では、神に奉仕する、神に仕えるという意味の言葉です。世俗では人々に仕えるという一般的な意味で用いられていましたが、聖書では神に仕えること、礼拝するとの意味で用いられています。それは人間を本来、神に仕え礼拝する存在である、と理解しています。

 確かに、わたしたち人間は生活の中で様々な神々を祀ったり、様々な宗教行事を行っています。無神論を標榜する国々でも、国家指導者の大きな像を造って敬愛させたり、大きな肖像写真を飾って指導者の権威を示しています。疑似宗教のようです。また金銭や様々なものに心が支配されています。そのことは何を示しているのでしょうか。

 人間の心には神様にしか埋められない大きな穴があります。神様を知らなければ何かでそれを埋めなければ心は満たされません。その思いが様々な神々を生み出しました。聖書は、わたしたちの心の穴を埋め、心を満たす生ける神様を語っています。その神様に心を向けてみませんか。生けるまことの神様があなたの心を満たしてくださいます。

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