おはようございます。田無教会牧師、中山仰です。
礼拝のことを英語でサービスとも言います。奉仕という言葉は、聖書の中で繰り返し用いられます。旧約聖書では95回、新約聖書では33回くらい登場します。
旧約聖書では、そのほとんどが礼拝の場所、すなわち天幕とか幕屋と言われる移動式の神殿などでなされる祭儀的な働きに対して用いられています。そこから礼拝がサービスと言われたのではないかと私は推測します。またその延長で、新約時代の教会における信徒の働きが「奉仕」と呼ばれているのだと思います。
私たちに与えられた賜物は、主イエスのたとえにおいてタラントンというお金でたとえられています。それを用いて増やすことは主から与えられるものだから当然です。それが増し加わったとき、「ご主人様喜んでください」と感謝することができます。その時、主は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」(マタイ25:21)と歓迎してくださいます。
教会の「奉仕」や仕事に携わったり、いろいろな「業」や祈りの結果が応えられたとき、微塵も誇ることはできません。それらの良い賜物は、すべて主から与えられたものだからです。本心からそのように受け止めたとき、「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』」(ルカ17:10)と言えるのではないでしょうか。