おはようございます。神奈川県横浜市にある綱島教会で牧師をしております。小宮山裕一です。よろしくお願いします。
様々な人が理想とする自分を追い求めてるように思います。自己実現、とでもいうのでしょうか。そうした情報に溢れています。そして理想化した自分を人々に見せることで、自分の自己顕示欲を満たしているように思います。
別に自分の思い描く自分になるために努力することが悪いわけではないでしょう。自分に足りないものを何とかして補う事も自然なことです。しかし、そのように自分にない何かを求めても、本来の自分とのギャップに苦しむだけではないでしょうか。
本来の自分はとても汚く、頼りがいもなく、だらしもない。自己中心的ですらある。そうした現実をみたとき、理想化する自分を追い求めることは現実をよりよくしようとする努力のようにみえて実際は現実から逃避しているのかもしれません。
私たちの素の自分。その素の自分を見つめる時に見えてくるもの。それが罪です。罪とは自分の中にありながら、決してそれを外に出すことができない何かです。人には見せたくない。それが罪です。その罪があるから、私たちは苦しむ。そして、罪にふたをしようとしてさらに苦しむ。罪とは無関係であるかのように思っている。しかし、ふとした瞬間に罪が牙をむく。
キリストを信じることはこの罪から解放されることです。自己中心的な生き方から神を中心にする生き方へ、なりたい自分から、神がならせてくださる自分へ。生き方が変えられていくことです。その生き方こそ、最も自分らしく生きる生き方なのです。