おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
私は中学生の時に、勉強する意味が一時期分からなくなり、親に尋ねたことがあります。すると親は少し考えた後、こう答えてくれました。「神を知るためだ。勉強は神を知るためにするんだ。」と。正直その時「この人はいったい何を言っているんだろう?」と思いましたが、今ではその時の親の気持ちが分かる気がします。
学びは、自らが見ている世界をもっと広げるために必要なばかりか、真理を追求することで、自分自身や、社会や、世界にとって何が必要かを知り、それに取り組むための大切な基礎となるものです。自分が本当にこれをやりたいと思っても、基礎がなければ学べない分野もあるからです。
聖書の学びも同じです。神がどれだけこの世界と私たちを愛しておられるか。その神を知らなければ、自分はどんな風にこの世界で生きていったら良いかが分からなくなってしまいます。私たちの関心や興味を超えて、神はあなたにどんな力を与え、何をしなさいと言っておられるか。あなたを愛する神との関係で考えていく時に、それらは次第にはっきりとしていきます。
人生は学びの連続です。学ぶ熱心も導かれる神に希望をもって、探求し続けていきたく思います。