おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
日々の生活が忙しくて、なかなか将来についてゆっくりと考える時間がないという方がおられるかもしれません。仕事や学び、家事や育児など、それらは手の抜けない大事な一つ一つの働きです。しかし将来や目標をしっかりと考えていなければ、今日していることが意味を成さなくなるという場合もあり得ます。自分はどういう者として生きようとするのか。腰を据えて考えることも怠ってはならないと思うのです。
もし日常生活の中に、聖書を読むことと祈ること、これら2つが取り入れられたなら、生き方の中心が定まり、実りある将来を見据えた今日を歩むことができると思います。聖書は、私たちがいかに生きて行くべきかを示してくれます。体を支えるために食べ物が必要なように、心が健康であり続けるためには聖書の言葉が必要です。そしてその聖書の言葉を心静かに思い深める祈りの時間は、生き方の方向が明らかにされることに繋がるでしょう。
また祈りは、自らの将来と生き方について確信ある考えを築くのに有効です。とにかくひたすら、聖書に導かれてよく祈ることです。実生活の中で、神と静かに過ごす時間は、人生を形づくるために不可欠です。