いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
マタイによる福音書の9章9節からの場面で、イエス様は罪人たちを招いて食事をしました。そのことでイエス様を非難する人がいたと聞いて、イエス様は言いました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」(マタイ9:12)病人とはどのような人でしょうか。立ち上がる力をなくしてしまった人です。イエス様はそのような人を立ち上がらせてくださるのです。
「座って」仕事をしていたマタイは、イエス様から「わたしに従いなさい」と言われて、「立ち上がって」イエス様に従いました。この場面の直前に、体が麻痺して動けない人がイエス様の言葉で「起き上がった」という出来事がありましたが、その時の「起き上がった」という言葉と、この場面の「立ち上がった」という言葉は、元々は同じ言葉です。そして「起き上がった」「立ち上がった」という言葉は、「復活した」という意味にもなる言葉なのです。
マタイは徴税人でしたが、ローマ帝国のために税金を集める徴税人は、神の民からお金を奪って異邦人にささげているということで、罪人の代表であると見なされていました。体が麻痺するような障がいも、罪の結果であると見なされていました。
しかし神の言葉が語られる時、人は罪の中から立ち上がらされるのです。神の言葉は人をまことに生き返らせるのです。イエス様の言葉には、人を立ち上がらせる力があるのです。