いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
マタイによる福音書の9章1節からの場面で、イエス様は体が麻痺した人を癒します。この時イエス様は「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」(マタイ9:5)と言いました。普通に考えると、「あなたの罪は赦される」という方が易しいことでしょう。口で言うだけで、実際に罪が赦されたのかどうかは目で見ても分からないのですから。これが「起きて歩け」ということですと、実際に起きて歩いてくれなければ困ったことになります。
私たちは「あなたの罪は赦される」と言われるよりも、目に見える祝福の方がありがたいと思うことがあります。しかしイエス様にとっては、罪の赦しこそ最も大切なことなのです。神様に背く私たちが赦されることは、病気が治ることよりも経済的に祝福されることよりも大切なことなのです。
そして、どちらが易しいかというと、イエス様にとっては「起きて歩け」という方がよほど易しいのです。今までもイエス様は言葉だけで人を癒してきました。しかし、罪の赦しのためにはどうだったでしょうか。十字架にかかってくださったのです。苦しみの果てに、命を落としたのです。イエス様にとっても、それは易しいことではありませんでした。だからこそイエス様は、何よりも罪の赦しを私たちに受け取ってほしいと願っておられます。それが、人の願いとは違う神の願いなのです。