いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会の川栄智章です。
マルコによる福音書9章50節には「塩を持ちなさい」という勧めがあります。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」
塩には腐敗を防ぐ働きがありますから、今日においても野菜を塩漬けにしたり、魚を塩漬けにしたりいたします。ところで「腐る」というのは、普段ありふれた現象ですけれども、神さまの目から見た時に、腐敗は罪と関係しています。
本来、神さまが創造された被造物はそれ自体で美しく、それ自体で良かったのですが、アダムが罪を犯したために、神の被造物が腐敗させられるという事態が起こってしまいました。そこで神さまは、特に罪によって汚されたご自身の民を贖い、元の状態に回復させるために御子イエス・キリストをこの世に送ってくださり、救いの御業を起こしてくださいました。ですからイエス様こそ、罪に陥った人々を聖別する塩であるということです。
それでは、私たちが塩気を持つとはどういう意味なのかと言いますと、私たちがイエス様を信じて、イエス様が私たちを通して世を浄め分かち、腐敗を防止するということです。さらに言えば、私たちがキリストとの交わりに入れられて、そして隣人に愛を持って仕え合う時に、塩気を持つことが可能となるのです。