いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
イエス様がよみがえられた後、イエス様はご自分を見捨てて逃げた弟子たちと、ガリラヤの山で再会されます。約束された山に弟子たちが登ったところ、本当によみがえられたイエス様がおられました。
彼らはイエス様に会いひれ伏しました。地面にひざまずいてイエス様を礼拝しました。そのとき、イエス様が十字架にかかられる前に3回、弟子たちに十字架で殺されることとその後で復活すると語られた言葉を思い出したことでしょう。イエス様は本当に復活されました。(以上マタイ28:16-20参照)
本当にイエス様は神の子であられました。弟子たちも驚いて、体も固まってしまったかもしれません。そして、自分たちが逃げてしまったことを本当に申し訳なく思ったことでしょう。ところがその弟子たちの中に「しかし、疑う者もいた」(マタイ28:17)と書かれています。復活されたイエス様を見ていても疑う者がいたとは、弟子は何を疑ったのでしょうか。復活は夢まぼろしで現実のことではない、と思ったのでしょうか。
この言葉は、マタイによる福音書では、イエス様の言葉に信頼できずに、信仰の弱さを示す弟子の姿を語るところでも用いられています。復活を否定したり、イエス様を拒絶するような不信仰を示す疑いではありません。むしろイエス様の復活に驚いて、その事実を受け止めきれない弟子たちの姿を示しています。
弟子たちにとって、イエス様の復活は大変な喜びでした。けれども、あまりのことに目を疑うような驚きでした。嬉しいけれども、信じられない。ほっぺたをつねって夢ではないかと思うような事柄です。信じられない驚き、それが弟子たちの体験でした。信じられないような驚き、それがイエス様の復活です。