メッセージ: 重苦しい帰国の決意(ルツ1:6-13)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「郷愁を覚える」という言葉があります。ふとしたことで故郷を懐かしく思う気持ちを表す言葉です。
わたしは子供の頃、父親の転勤で3年と経たないうちにあちこち引っ越しを繰り返していましたので、生まれ故郷を懐かしむという感覚はあまりありません。それでも小学生時代を過ごした松江や福島の景色を思い出して、今でもまた行ってみたい気持ちになります。海外で暮らす人たちにとっては、その思いはもっと強いのではないかと思います。
さて、先週から学び始めた『ルツ記』ですが、故郷を離れたナオミにとって、故郷を思う気持ちはどれほど強かったでしょうか。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 ルツ記 1章6節〜13節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。ナオミは住み慣れた場所を後にし、二人の嫁もついて行った。故国ユダに帰る道すがら、ナオミは二人の嫁に言った。「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、言った。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」ナオミは言った。「わたしの娘たちよ、帰りなさい。どうしてついて来るのですか。あなたたちの夫になるような子供がわたしの胎内にまだいるとでも思っているのですか。わたしの娘たちよ、帰りなさい。わたしはもう年をとって、再婚などできはしません。たとえ、まだ望みがあると考えて、今夜にでもだれかのもとに嫁ぎ、子供を産んだとしても、その子たちが大きくなるまであなたたちは待つつもりですか。それまで嫁がずに過ごすつもりですか。わたしの娘たちよ、それはいけません。あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから。」
夫に先立たれ、二人の息子たちにも先立たれてしまったナオミは、風の便りに、故郷の飢饉がおさまり、再び食べ物に満ちるようになったことを耳にします。ナオミにとっては今住んでいるモアブの野は外国の地である上に、自分にとっては悲しい思い出の地です。飢饉から逃れるという消極的な理由で移住してきただけで、ここに住み続けなければならない積極的な理由はありません。
しかし、この地を離れて故郷に帰る決断を鈍らせる理由もありました。そこはナオミにとってすでに住み慣れた場所だったからです。先立たれた夫と苦労を共にした場所です。夫亡き後は、子供たちが成長し、結婚の幸せをつかんだ想い出の場所です。モアブの野に住む人たちから見れば、自分たちの娘を嫁がせてもよいと思うほど、打ち解けた近所付き合いが成り立っていた場所です。その上、亡くなった夫や息子たちのお墓もあったでしょう。後ろ髪をひかれる理由はいくつもありました。
故郷に戻れば、また元の生活に戻れるという保証は何もありません。それどころか、故郷に残った人たちから見れば、神から与えられた祖国を捨てて、飢饉の苦労を共にしなかった裏切り者です。おまけに移住した先は、イスラエルから見て、敵対する民族の住む土地でした。なりふり構わず出ていった自分です。故郷に戻れば何を言われるかわかりません。ナオミはそのことも十分承知していたことでしょう。
それでも、故郷に戻る決断をしたのは、ただ故郷を懐かしむ思いが強かったからでしょうか。故郷が再び食料に満たされるようになって、今の生活よりも心惹かれたからでしょうか。いいえ、そうではありません。
一つには、未亡人となった二人のお嫁さんたちの幸せを思ったからです。いつまでも自分と一緒に暮らしていては、再婚のチャンスも逃してしまいます。これから先、年老いていく自分の世話のために、二人の人生をこれ以上拘束してしまうのは、申し訳ないと思ったからでしょう。
故郷に帰る道すがら、ナオミは一緒についてくる二人のお嫁さんたちが、主である神から十分な報いを受けることができるように、また、それぞれ新しい嫁ぎ先を与えられて、幸せに暮らすことができるようにと願います。これはナオミの本心です。
それともう一つ、ナオミにとって気がかりだったのは、モアブ人の娘たちが、イスラエルでは歓迎される保証がなかったことです。どの時代のどの地域にも、差別は存在します。ナオミは今でこそ、モアブの地の住民と打ち解けあう関係にありますが、そこまでに至る苦労を経験しています。自分が味わったその苦労を、二人のお嫁さんたちに背負わせるのは、忍びないとそう思ったことでしょう。
ナオミは決してこの二人を足手まといと思って、追い返そうとしたのではありません。ナオミなりに二人の幸せを考えあぐねた末、出した結論です。そうであればこそ、この義理の母の決断を聞かされた二人は、声をあげて泣いたのです。この二人もまた、ナオミを心から慕い愛していた様子をうかがい知ることができます。
この二人の涙は、ただ別れをつらいと思う涙ではないでしょう。義理の母親が、自分たちの将来をここまで心にかけてくれていることを知って流れる涙でしょう。それと同時に、そのようにナオミに心配をかけてしまった自分たちのふがいなさを悔やむ涙でもあったでしょう、二人の涙は複雑です。
ナオミの別れの言葉にもかかわらず、二人はなお共に旅を続けようとします。ナオミに対する二人の愛情はその言葉遣いにも表れています。二人は言いました。
「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」
「行く」とは言わず「帰る」と言っています。この二人にとって、この旅路は一緒に「行く」のではなく、一緒に「帰る」旅なのです。それほどに気持ちが一つになっています。
ナオミの二人に対する愛情もまたその言葉遣いに表れています。ナオミは二人に対して「わたしの娘たち」と呼びかけています。もうナオミにとっては、自分の娘と同じです。娘たちの幸せを願う母親のように、二人に接しています。
二人に対する言葉の中で、ナオミはつい自分の心の内を吐露してしまいます。
「あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから。」
自分の夫に先立たれたという辛さは、ナオミもこの二人も同じです。しかし、ナオミが言う「はるかにつらい」というその辛さは、「主の御手がわたしに下された」という思いからくる辛さです。
ここにナオミが今まで心に抱えてきた苦しみが吐き出されています。夫に先立たれたのも、息子たちを失ったのも、さらには、息子たちに嫁いできた二人の娘たちを幸せにできなかったのも、すべて自分が主に対して不誠実であったからではないか、だから、主の御手がわたしん下っているのではないか、と。これはナオミが初めて二人に明かした心の内だったのではないでしょうか。
果たして、ナオミの人生に襲いかかった様々な辛さは、主の怒りだったのでしょうか。さらに続きを読み進んでいきましょう。