ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「理性と信仰」というテーマは、キリスト教の古い時代からしばしば取り上げられてきたテーマです。果たして、人はどうやって神を信じることができるのでしょう。
証拠から論理的に導き出されることだけを信じることに慣れている今の時代にとっては、理性によって確信できないことは、信じるに値しないこと、と考えられています。
けれども、理性によって説明ができることだけを信じるとすれば、信仰を人間の理性という限界に閉じ込めてしまうことになります。「有限は無限を容れない」という有名な格言がありますが、そもそも有限な人間の理性には神を把握しきれるはずがありません。それを無謀にも人間の理性の枠内に閉じ込めて理解しようとするのであれば、そのような信仰はナンセンスとしか言いようがありません。
結局のところ、本来は人間の理性を遥かに超えたお方が、有限の存在である人間にもわかるようにご自分を現し、お語りになってくださっているからこそ、信仰が成り立つということです。その限りという限定付きですが、人は神を信じることができるようになります。また、そのように神の霊が人を正しく信仰へと導いてくださっているということです。
もちろん、このような説明は、信仰を持たない人にとっては、あまり意味のない説明かもしれません。また、信じている人にとっても、自分が神の霊に導かれて正しい信仰を持っているのかどうか、不安にさせてしまうかもしれません。
きょうの個所では、真理の霊とそうではない霊との区別がなされています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネの手紙一 4章1節〜6節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
前回取り上げた個所の最後で、ヨハネは「神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった”霊”によって分かります」と記していました。確かに信仰に関わる事柄は、神の霊が、そのようにわたしたちに確信を持たせてくださいます。けれども、同じ神からの霊によると言いながらも、違ったことを説いて回る預言者がいたことは、旧約聖書にも前例があります。ヨハネがこの手紙を書いていた時にも、異なる教えを説いて回る人たちがいたようです。愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。