おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
明治から大正にかけて活躍した文学者、有島武郎の作品に『カインの末裔』という小説があります。題名からして、旧約聖書『創世記』第4章を題材としていると、聖書を読んだことのある人であれば、そう思うかもしれません。
しかし、実際この小説の中には、カインの「カ」の字も出てきません。どこがどう創世記のカインと結びつくのか難解です。まして聖書になじみのない人にとっては、小説のタイトルはなおいっそう謎に包まれていると思います。
さて、創世記4章に出てくるカインは、妬みから弟を殺したあと、エデンの東、さすらいの地ノドに住むようになります。殺人の罪を犯したために追放されてしまったのだと思うかもしれません。しかし、聖書を注意深く読むと、神はカインを追放されたのではありません。そう主観的に思っているのはカインの方です。むしろ神はカインに特別なしるしを与えて、誰もカインを殺すことがないようにと保護されました。
聖書を注意深く読むと、カインはただ単にアダム家族の住む土地から離れてさすらう者となったのではありません。カインが離れたのはただ住んでいた土地ではなく、主の前を去ったと聖書は語っています。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。」と泣き言を言い、神から特別な保護のしるしをいただきながら、結局はその心は神の前から離れていってしまいます。
しかし、それでも神の守りと祝福はカインから途絶えてしまったのではありません。カインは家庭を持つようになり、子供にも恵まれました。自分の町を築き、子孫にも恵まれて、その子孫から家畜を飼って天幕に住む者や音楽を奏でる者の先祖となる者も誕生しました。さらには青銅や鉄で様々な道具を作り出す者もカインの末裔には誕生します。
しかし、こうした文化や文明は恵みであると同時に、人を高慢にする機会にもなります。カイン自身が主なる神から離れていったように、その末裔たちの心もまた神から離れていました。カインの末裔であるレメクは、妻たちにこう豪語します。「わたしは傷の報いに男を殺し 打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が7倍なら レメクのためには77倍。」(創世記4:23-24)
神がカインに与えた特別な保護を曲解して、倍返しどころか77倍の復讐を正当化します。心に神を畏れない人間のおぞましさが描かれています。では、聖書は、人類の半分はこのカインの末裔で、このカインの末裔が諸悪の根源だと言いたいのでしょうか。わたしはそうではないように思います。人類の半分がカインの末裔なのではなく、「わたし」という心の中に、いつもカインの末裔的な要素があるということなのだと思います。聖書はのちにこう語っています。
「主は天から人の子らを見渡し、探される 目覚めた人、神を求める人はいないか、と。だれもかれも背き去った。 皆ともに、汚れている。 善を行う者はいない。ひとりもいない。」(詩編14:2-3)
そうであるからこそ、救いが必要です。イエス・キリストはおっしゃっています。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2:17)
聖書に描かれる人間の世界はいつも輝いているわけではありません。むしろ、罪が色濃く覆う世界です。しかし、神はこの世界を心にとめ、この世界のために救い主イエス・キリストをお遣わしくださいました。