おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。広島県東広島市西条中央にある東広島教会の牧師をしております、李哲敏(イ・チョルミン)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。お近くに来られた時はぜひ、東広島教会にお立ち寄りください。
箱や器の役割は、その中に何かを入れることです。同じものであってもその中に何が入っているかによって、それの価値も扱いも名前も変わります。例えば箱に宝が入っていると、それは宝箱と言いますが、そこにゴミが入っていれば、それはゴミ箱と言います。聖書は私たちのことを「土の器」と言います(2コリント4:7参照)。といえば、私たちも私たちの中に入っているものによって私たちの価値も名前も変わることでしょう。
今、自分という器に何が入っているのか。確認の方法は簡単です。そこから何が出るのかを確かめればすぐ分かります。器に入れたもの、入っているものが出るからです。喜びが入っていればそれが顔から表れるし、怒りが入っているならば、顔と言葉からそれが出るでしょう。言葉、表情、目つき、行動などを通して中に入っているものが表れます。
神さまは私たちを誰より愛されます。神さまにおいて、私たち一人ひとりが値高く、尊い存在です(イザヤ43:4)。それぞれかたちは異なりますが、神さまは私たちを最高の器として造られました。そのあなたという器には、今何が入っていますか。そこからどんなものが出てきていますか。はじめからくだらないものをつくる陶工はいません。陶工はみな、自分がつくった器が尊く用いられるのを願います。
聖書のイザヤ書には「主よ、わたしたちは粘土、あなたは陶工」(イザヤ64:7)と書いてあります。神さまは私たちがみ心にかなって用いられるのを喜ばれます。自分という器にきれいなもの、美しいもの、清いものを入れましょう。何より最高の宝である神の御言葉を入れましょう。
それで、御言葉による実が私たちの言葉と顔から結ばれますように。その意味で今、神さまの御言葉を聞いておられるあなたは、すでに値高い宝箱です。神さまの御目に尊いあなたを主の御名によって祝福します。