いかがお過ごしでしょうか。野島邦夫です。
今回のシリーズでは、教会と礼拝について改めて考えています。
公同礼拝がキリストの体、教会の要です。そこで神と信徒たちとの生きた交流が、集約的に実現されるからです。神から人へ恵みが伝えられ、人はそれに対して感謝をもって応えます。
時代と共に教会と礼拝の在り方も変化する部分があります。最も現代を反映しているのがインターネット礼拝でしょうか。例えば、教会での礼拝を各信徒の端末にライブ配信する。それを信徒は視聴する。これは公同礼拝になっているのでしょうか。
まず、これでは視聴者は説教などを通して神からの恵みを受けるだけになっているのではないか、という疑問が浮かびます。これに対してネットに詳しい人はこう言うでしょう。今は例えばテレカンファレンスなどに使う相互対話を可能にするアプリがある。献金でさえリアルタイムでインターネットバンキングで可能になると。納得されますか。
さらに人が実際に集まらなくても公同礼拝が成り立つのか、という問題があります。ネットでも気持ち的に心が繋がっているから問題ない、というのは少し短絡的でしょう。人は心と体から成りますから、心だけ繋がればいいというのはこれまでの伝統的な教会観の大変更です。信仰を持つ人々が現実に集まって神とまた互いに交流する、これこそがキリストの健全な体と言えるのではないでしょうか。