いかがお過ごしでしょうか。野島邦夫です。
今回のシリーズでは、教会と礼拝について改めて考えています。
教会は聖書によれば、単に信徒の集団ではなく、頭(かしら)、生きておられるキリストの体です。そこには、キリストとの信仰による霊的繋がりがあり、キリストを介して信徒一人ひとりの間の霊的繋がりがあります。これら「垂直方向の繋がり」と「水平方向の繋がり」は、信徒個人個人がいつどこにいても、一人でいても集まっていても、堅く保たれています。聖霊の力によるものですから。
とは言うものの、キリストの体が最も体らしくなる、特別の時があります。それが公同礼拝、たいてい日曜日の朝行われる各教会の公の礼拝です。その時、信仰的に一致して集まった信徒たちは、キリストを介して神と向き合います。向き合うとは、互いに相手を信頼して、隠し事をしないという態度です。
そして礼拝では「神から人への恵みの伝達」、例えば招きの言葉、聖書朗読、説教、祝祷などの部分と、「人から神への感謝の応答」、例えば賛美、祈祷、信仰告白、献金などの部分から成ります。プロテスタント教会では特に、現代人への神の恵みの言葉の伝達、説教が重視されますが、これだけでは神と人との交流にはなりません。応答が必要です。これらの組み合わせである礼拝全体で神との交流と言えます。