おはようございます。田無教会牧師の中山仰です。
私が見た映画『レ・ミゼラブル』は、ジャン・ギャバン主演の1957年版の古いものです。そこには、あまりの貧困のためパンを盗んだ者たちが、刑務所に入れられる哀れさが描かれています。主人公のジャン・バルジャンは小さい犯罪を繰り返し、刑事シャベールがずっと彼を疑い、しつこく追ってきます。彼は祭司宅から銀の皿を盗んだのにその罪を赦されて愛を知ります。真面目に働き、出世して市長になります。
ある時彼は自分と似た人物が裁判にかけられることを知り、黙っていられず自ら名乗りでます。時はフランス革命の時代です。シャベールは革命軍の中に潜入して調査しているときに刑事ということがばれてリンチされそうになります。その時に、偶然居合わせたジャン・バルジャンが彼の身柄を引き取り、彼を解放します。
その時シャベールは「お前を追っている私を、なぜ見過ごすのか。」と問うと、ジャン・バルジャンは「それが分からないのか。哀れだな。」と答えます。その後シャベール刑事は、セーヌ川へ飛び込んで自殺します。哀れとか無情とは、盗みや貧困のための売春だけではなく、シャベールが命を赦されても、その愛が分からないことのようです。
聖書には、イエス・キリストが「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)と、私たちの身代わりとして十字架にかかられたことが書かれています。ここに愛があります。