いかがお過ごしでしょうか。横浜教会牧師の千ヶア基です。今日も神様の御言葉に聞きたいと思います。
「目からうろこが落ちる」ということわざがあります。「今まで分からなかったことが理解できるようになること」を意味します。日本のことわざや慣用句には中国由来のものが数多くあるようですが、「目からうろこが落ちる」の語源は、意外にもキリスト教の新約聖書の中に遡るのだそうです。
キリスト教の旧約聖書詩編40編7節には、目ではなく「耳」という言葉を使って、次のような言莱が出てきます。「あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず、焼き尽くす供え物も、罪の代償の供え物も求めず、ただ、わたしの耳を開いてくださいました。」
旧約聖書時代の信仰者が神様への感謝として献げ物をするのですが、神様はそれらの献げ物を求めるのではなく、御自分から私たち人間の耳を開いて、新しい言葉に聞くことができるようにしてくださった、と言うのです。
私たちには、知っているようで知らないことが結構あります。神様のこと。神様に愛されている自分のこと。愛されていることへの感謝と喜びに満ちた日々を送るために必要なことなど。「神様、わたしは聞いています」と心の中で祈りながら聖書の話を聞こうとする時、必ず神様はあなたの心の「耳」を開き、神様を信じて生きる素晴らしさと安心が分かるようにしてくださいます。