いかがお過ごしでしょうか。横浜教会牧師の千ヶア基です。今日も、神様の御言葉に聞きたいと思います。
キリスト教の教会に行きますと、「罪から救われる」というように「罪」という言葉を耳にします。「罪」という言葉は、国や自治体の法律を破ることをイメージします。しかし、教会で言われている「罪」は、神様の教えを守っていないこと、私たちの心と行いが神様のお考えから遠ざかっていることを意味します。
「良心の呵責」という言葉があります。自分が何か悪いことをして心が痛むこと、やってはいけないことだと分かっていてもやってしまい、心の中で苦しむことです。でも人の心は、同じ過ちを繰り返していくうちに悪いことに慣れてしまい、良心の呵責すら感じなくなることもあるようです。
でも旧約聖書の詩編36編6節に次のような言葉があります。「主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。」
「主」とはキリスト教の神様のことです。その神様の「慈しみ」と「真実」が、天の至るところに、大空の至るところに満ちているというのです。
後ろめたいことがあっても、繰り返し悪いことに手を染めて心が鈍くなってしまっていても、神様があなたを慈しむ思いは、あなたの生活のあらゆる場所に満ちている。いつでも引き返せる場所があるのだと、神様はいつでもあなたに呼びかけているのです。