ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
神様はかつて、預言者を通して御自身のことを示されました。時には言葉だけでなく、預言者に実際に行動させることによって示すこともありました。
紀元前8世紀の預言者のホセアの場合は、大変な役割を担わされました。品行の悪い女を妻にせよ、と神様に命じられます。子どもが生まれますが案の定、妻は他の男に走ります。しかしホセアは神様に命じられます。「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。」(ホセア3:1)
それでホセアは、わざわざ相手の男にお金を払って妻を買い戻します。そして妻を諭すのです。「お前は淫行をせず、他の男のものとならず、長い間わたしのもとで過ごせ。わたしもまた、お前のもとにとどまる。」(ホセア3:3)いったいこれはどういうことなのでしょうか。神様は言われます。「イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」(ホセア3:1)「干しぶどうの菓子を愛しても」というのは、どうやら他の神々の宗教行事に関係するようです。
イスラエルの民たちは、神様を裏切って他の宗教に走ってしまいました。もちろん神様は厳しく非難し、裁きの予告もします。けれどもそれは、立ち帰ることを期待するゆえのことなのです。ホセアと妻のことを通して、神様は裏切ったイスラエルをなお愛していることを示すのです。神様の愛はそのように深く豊かなものです。その愛の中で歩むのが、キリスト教信仰生活です。