川越教会牧師、木村恭子です。いかがお過ごしでしょうか?
今週は植物にまつわるメッセージをお伝えしています。
旧約聖書の詩編で詩人は詠います。「人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。風がその上に吹けば、消えうせ、生えていた所を知る者もなくなる。」(103:15-16)
あるいは、こんな詩編もあります。「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」(90:10)
私たちの人生ははかないもの。あっという間に過ぎ去ってしまう。人は死んでしまえばそれで終わりなのでしょうか。
ですが、新約聖書でイエス様はこんなふうに語っています。「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。…今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。」(マタイ6:28,30)
限られたほんの一瞬だけ美しく咲きほこる野の花。もしかしたら誰一人目を留めることのない、そんな野の花を、神は美しく装わせてくださるのです。そうであれば、私たち人間に対して、神はそれ以上のことをしてくださる。神は、私たちの人生を価値ある大切なものとして扱っておられるのです。
ですから、私たちは自分の人生の価値を過小評価してはなりません。あなたの命は、人生は、神に大切に扱われているのですから。