川越教会牧師、木村恭子です。いかがお過ごしでしょうか?
今週は植物にまつわる聖書のメッセージをお伝えしています。
教会の庭の隅が、夏になると雑草天国になります。ですが、昨年はある方にいただいたキバナコスモスを植えるとそれが増えて、黄色の可憐な花を咲かせてくれました。雑草も生えていたのですが、それが目立たないほどに。これに味を占めて、今年も草花で雑草を防ごうと、一度草取りした後に草花の種をまきました。しばらくすると芽が出ましたが、同時に雑草も芽を出しました。そうなると、私には雑草と植えた草花との区別がつきません。
そのときイエス様がお話しになった「毒麦のたとえ」を思い出しました。主人が畑に麦の種を蒔いたのに、芽が出るとその中に毒麦も混ざっていたのです。僕たちが毒麦を見つけて抜こうとすると、主人は言いました。「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」(マタイ13:29-30)
毒麦と麦は、成長段階では区別しにくいのでしょう。途中で抜くと、十分実っていないよい麦が、紛れて抜かれてしまうかもしれません。主人にとっては、成長が遅い麦でも大切。最終的に毒麦でなければいいのです。
神は、私たちの信仰の成長を期待し、忍耐して待っていてくださるということです。ですから、焦って結果を出す必要はありません。着実な信仰の歩みが大切です。