いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
マタイによる福音書の8章28節からの場面で、イエス様のところに、悪霊に取りつかれた二人の人がやってきました。この二人は墓場に住んでいて、非常に狂暴で、誰も手に負えないような人たちでした。
この二人が墓に住んでいたというのは、人と関わりたくないと思っていたということでしょう。そして「非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった」というのは、人と関わりたくないので、人が近づいたら暴力をふるったということです。
人に会いたくない気持ちになることが、私たちにもあります。そのような時に人を傷つけてしまうこともありますし、もっと言うと、現代では「相手は誰でもいい」として暴力をふるう事件も珍しくありません。この二人の現実は、私たちの現実です。
この二人はイエス様に言いました。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」(マタイ8:29)
この言葉は、この人たちの言葉ではなく、悪霊の言葉そのものです。人を避けて、人に暴力をふるっている内に、人は、元々の自分をなくしてしまうことすらあると聖書は言うのです。
しかし、イエス様の方から名乗ったわけでもないのに、悪霊は最初からイエス様を知っていて、イエス様には最初から敵わないと知っています。大事なのは、イエス様に共にいていただくことです。そうである限り、私たちは確かに守られるのです。