いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
マタイによる福音書の8章14節からの場面で、イエス様は弟子のペトロのしゅうとめが寝込んでいたのを目に留めて、しゅうとめを癒しました。そうすると、しゅうとめは起き上がってイエス様をもてなしました。自分のために働いてくださったイエス様にもてなしをしたわけです。この「もてなす」という言葉は、聖書の原文では「奉仕する、仕える」という言葉です。ここには、イエス様と私たちの関係が表れています。イエス様は私たちのために働いてくださり、私たちはそのイエス様に仕えるのです。
では、イエス様に仕えるとは何をすることでしょうか。ペトロのしゅうとめにとっては、食事とベッドの準備だったことでしょう。食事とベッドの準備があれば、イエス様は次の日も元気に働くことができます。もし、食事とベッドの準備がなければ、次の日は苦しみながら働くことになるでしょう。つまり「仕える」とは、イエス様が働きやすいようにすることなのです。イエス様の働きは苦しみを取り除く働きですが、私たちもまさにその働きに仕えていくのです。
考えてみると、日常の中にそのような機会はたくさんあります。私たちが誰かのために食事を準備する時、買い物に行く時、料理を作る時、ベッドを準備する時、部屋を片付ける時、シーツや衣類を洗濯する時、たたむ時、私たちはイエス様に仕えているのかもしれません。