いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会牧師の川栄智章です。
イスラエルに周辺諸国と同じように王政が導入されても、依然として神が真の王としてイスラエルを治めていることに変わりはありませんでした。ですから王に建てられたサウル王は神の御声に聞き従い、民に模範を示し、神の民イスラエルを御言葉によって導かなければなりませんでした。アマレク人との戦いにおいて預言者はサウル王に次のように語られます。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。」(サムエル上15:1)
ところがサウルは、御言葉を守っているように見せかけて、少しずつ御言葉を自分の都合の良いように歪曲し、完全に聞き従うことはしませんでした。預言者はサウルに対し失望し、次のように宣告します。「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」(サムエル上15:22-23)
主の御言葉を、形式的に守っているように見せかけて、神を利用しようとする態度こそ、不信仰と言えるでしょう。人の目を欺くことができても、神の目を欺くことはできません。悔い改めて、御言葉を第一にして行きましょう。