いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会牧師の川栄智章です。
イスラエルで最も背が高く最も容姿の美しいサウルが、初代イスラエルの王として油注がれた時、預言者から次のように言われました。「それより、全イスラエルの期待は誰にかかっていると思いますか。あなたです。」(サムエル上9:20)つまり、サウル王は人々に望まれて立てられた王であるということです。
一方、イスラエルの第二の王、ダビデに油注がれる時、神は預言者に次のように語られました。「容姿や背丈にとらわれてはならない。…私は人が見るようには見ないからだ。人は目に映るところを見るが、私は心を見る。」(サムエル上16:7)つまり、ダビデの油注ぎにおいては、人間が見るように、容姿や背の高さに目を向けることをせず、主は心を御覧になられ、ダビデを王として立てられたのです。
聖書には次のように書かれています。「霊のものではなく、自然のものが最初にあり、それから霊のものがあるのです。最初の人は地に属し、土からできた者ですが、第二の人は天に属する方です。」(1コリント15:46)
最初に肉によって立てられたサウル王は(人類の祖)アダムを示し、第二に主によって立てられたダビデ王はイエス・キリストを啓示しています。聖書を通して歴史を見る時に、歴史は神の摂理とご支配の中でのみ活動するということを悟らされます。それはまるで、大自然を見る時、そこに神の創造の働きを認めて圧倒されるように、であります。