どうも、みなさん、おはようございます。横浜市にあります綱島教会で牧師をしております、小宮山裕一です。よろしくお願いします。
マルティン・ハイデガーという人がおります。この人はドイツの哲学者なのですが、ハイデガーは「言葉は存在の家」という言葉を残しています。少し、難解な言葉ですが、人がいる。そして語る。そのところに、言葉があらわれる。それが語るということです。しかし、ハイデガーはそうではなく、言葉があるところに、私たちがいると考えるのです。私たちという存在に先立ち、言葉がある。言葉が私たちを包むから、私たちは存在することができる。
言葉が、あらゆるものに先立つ。これは聖書が伝えている真理です。聖書によれば、神は始めに言葉によってこの世界を作られました。神の言葉には力がある。それはこの世界を造る。そして、私たち一人ひとりを造り出し、この世界に置いてくださるのも、神の言葉によるのです。
私たちの存在は、神によって支えられている。神が、私たちをこの世界に生きることを認めてくださっている。今、この放送をきくあなたも、神が生きるようにと命を与えてくださっている。だからこそ、私たちは尊い存在なのです。神が、あなたの存在を認めておられるのです。
だからこそ、言葉は神となった、と聖書が語るイエス・キリスト。このお方を知っていただきたいのです。神の言葉は、イエス・キリストによって明らかになりました。このお方こそ、私たちの存在を包む家なのです。