おはようございます。田無教会牧師の中山仰です。
外国のSNSに面白い話がありました。一人の信仰をもっている青年が重い十字架をかついで進んでいます。あまりの重さに時々立ち止まり、休まなければなりませんでした。
しばらく眺めると、他の人たちの背負っている十字架は自分より短くて軽そうに見えました。そこで彼は「そうだ、自分の担いでいる十字架を短くしよう。そうしたら軽くなるはずだ。」と、十字架を切り詰めました。それで担ぐと非常に楽になりました。それからはとても楽な人生で、意気揚々と歩み始めました。
さていよいよ人生の最後にきました。すると目の前に大きな溝が現れました。その先の天国へ行くために、周りの人たちは担いでいた十字架を降ろし、その溝にかけています。そこで彼も同じようにかけようとしてはっと気が付きます。そうです。その十字架は短くて、向こう岸へ届くことはありませんでした。十字架が重たく感じた人にとっては、その重さに耐えることはできないでしょう。イエスさまは耐えられないような試練を私たちにお与えになりません。
イエスさまは十字架にかけられる前に、死から復活されることを弟子たちに予告しました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」とルカによる福音書9章の23、24節で言っておられます。