いかがお過ごしでしょうか。野島邦夫です。
聖書の中には、人の裸について印象的な場面があります。今回のシリーズでは、そのような幾つかの箇所を考えます。
聖書の中のヨブ記の言葉です。「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」(ヨブ1:21)ヨブのこの言葉が、まず私の頭に思い浮かびます。
ヨブという、信仰深く家族と財産にも恵まれている人物がいました。ところが、ある時それらすべてを失います。自分の健康も、重い皮膚病にかかりひどく損ないます。いわば、人を人間社会で価値あるものとする一切を失いました。彼には自分の支えとなるものがもう何も残っていません。残るのは、いわば命そのものだけです。
そのような時、ヨブが口にしたのがこの言葉です。
この「裸」は裸体の意味ではありません。人間から、有形無形の一切の価値あるものを取り去った命そのものです。どのような人であれ、人は確かに生まれる時周囲に祝福され、死ぬ時は悲しみを与えます。これらもその人の価値と言えますが、これは周囲の人が感じるその人の価値であり、その人自身がその時感じるわけではありません。
人は死に直面する時、はだかになります。つまり一切のものを剥ぎ取られます。財産も、社会的名誉も、そして最も堅いはずの、親子、夫婦のきずなも。この人間の現実を、ヨブのこの一言は的確に指摘しています。