おはようございます。ごきげんいかがでしょうか。新所沢教会の長田と申します。
今週は、聖書から、私たちの救い主イエス様がどんなお方であるか確かめてまいりたいと思います。
日本の諺で「鰯の頭も信心から」という言葉があります。つまらないものでも、信じてみるとありがたく思えてくるものだという、ちょっと皮肉な言い方です。
しかし、聖書の神様は、私たちにわからないものを信じ込ませるお方ではありません。もちろん、限りなく深い神様の存在を、限りある人間が十分に理解できないのは当然です。
けれども、聖書の神様は、私たちが神様について、知っておくべき事は、すべて十分に、私たちに伝えてくださっております。その務めを果たすのがイエス様です。それゆえにイエス様は、「神の言葉」と呼ばれるのです。イエス様自身が直接語られたこと、振る舞われたことだけでなく、預言者や、使徒や、時には様々な出来事を通してでも、神の言葉である方が働きます。イエス様は、それらの神の言葉としての働きを通して、私たちに神様を教え、神様の下に導き、救いへと招いてくださるのです。
ですから、イエス様の言葉に耳を傾ける。神の言葉として私たちに与えられた聖書に耳を傾ける。それが私たちが信じるため、信仰を生き抜くために必要なことです。
聖書をお読みいたします。「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:12)