いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
イエスはある時に自分を羊の門にたとえたことがありました。日本の都市部ではまず目にすることがありませんが、古い映画などをみますと、牧場に門があって、動物はそこから出入りする様子を見ることができます。聖書では門を通る羊は牧草を見つけ出す、と書いてあります。それ自体は当たり前のことしか言っていないようですが、これはイエスという門を通って命を得ていく、ということのたとえです。
それからこのたとえ話にはもう一つ、イエスが自分を羊飼いだというところがあります(ヨハネ10:1-10参照)。そして羊たちは羊飼いであるイエスの声を聞き分けて後からついていく、と続いています。なぜ羊にそんなことができるのでしょうか。その理由は、羊飼いは自分の羊の名前を呼ぶからだ、と書かれています。これもまた、たとえです。
この世界には、様々な声があふれています。すべてが命を与えるための声ではありません。残念ながら、何かを奪うために語られる声もあります。しかし、イエスはあなたの名前を知っていて、あなたが命を得るように、自分についてくるようにその名前を呼ぶというのです。
全くその意味で、このラジオの声もまた、イエスの呼びかけの声の一つでありたいと願っています。この声を聞いて、何かを感じられた方は、その声が本物かどうかをよく確かめていただきたいのです。そして声を聞き分けられたなら教会をたずねてください。きっとそこに、あなたを導き生かす言葉が待っています。