いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
このところ多様性ということがよく言われます。一人ひとり、あり方はそれぞれ違っていてよい、いろいろな背景を持った人たちがいた方がよい、ということが言われます。しかし一方で、特定の背景を持つ人たちを激しく嫌う声もあり、社会が二極化して不満がたまっている、というようなことも耳にします。
いずれも事実なのでしょうが、私たちの生きます社会が、より生きやすくなっていくことを考えますと、ある豊かさが必要でしょうし、様々な考え方、あり方が認められる方が、居心地がよいのではないでしょうか。
ところで聖書には、イエスが漁をしていた弟子たちに、魚を持ってくるように声をかける場面があります(ヨハネ21:10参照)。一人の弟子が網を引き揚げますと、たくさんの大きな魚でいっぱいであった、しかし、網は破れなかった、ということが書かれています。それは、そもそもは単純に漁とその結果を書いただけのものかもしれません。けれども、そこにはもう一つ意味が重ねられているようにも見えます。
それは、網いっぱい、ということにたとえられるように、イエスによって、多くの人たちが集められるだろうということです。そして大切なのは、そのように多くの人たちが集められたとしても、その集まりは決して破れることがない、とされていることです。イエスによって集められた人たちの集まりは破れそうでも破れない。簡単に壊れない人間関係への手がかりがここにあるのではないでしょうか。