ごきげんいかがですか。所沢ニューライフ教会の玉井宣行です。
人はなぜいじめるのでしょうか。自分の子供の頃を振り返ってみると、集団の中でみんなと同じ行動がとれない時、みんなはできるのに自分はできない時、「いじめ」の圧力が強くなった気がします。人はなぜみんなと同じことができない人を、いじめるのでしょうか。
昨日までいじめる側だった自分が、今日からいじめられる側に変わった時の恐怖は、その立場に立たない限り理解できません。いじめられると心が傷ついていきます。心が傷ついてくると体に不調が出てきます。こうしていじめられた側は集団からはじき出され、その苦しみから逃れるために死を選択するというところまで追い込まれます。そうであるならば特定の人を集団でいじめるという行為は、その人を殺すかもしれない恐ろしい行為なのです。
しかし聖書は語ります。「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(マタイ18:4)と。
その集団が大人であるならば、子供のように低い目線から相手を見る。その時その低い目には、その人の優れたところがたくさん見えてきます。言うは易し、行うは難しですが、自分を低くしてくださった主イエスという神様がおられます。この主イエスを信じて歩む時、私たちはいじめられている人の素晴らしいところを発見することができるようになります。