いかがお過ごしですか?川越教会牧師、木村恭子です。
今回は人間の創造について、特に「神のかたち」について考えましょう。
ある方が「聖書の神様は人間と同じ姿をしているのですね。」と言いました。理由を尋ねると、創世記1章26、27節をあげました。26節の「我々にかたどり、似せて」、27節の「ご自分にかたどって」というところから、神は人間と同じ姿だと思ったそうです。
ですが新約聖書で、イエスは「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理(しんり)をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:23)と語っています。
また、聖書を体系的にまとめ記しているカテキズム、ウェストミンスター小教理問答には次のような問いと答えがあります。ご紹介します。
問4:神とは、どんなかたですか。
答: 神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において、無限、永遠、不変のかたです。
ここにも「神は霊である」と記されています。
ですから、創世記1章26、27節の「かたどり、似せて」は外見の話ではなく、中味、内側についてのこと。人間は造られた時から、霊的なお方である神を理解する心が与えられている、ということです。それで人は神を求め、神を礼拝するのです。また、人はそのように造られているので、まことの神を礼拝することが喜びとなるのです。