いかがお過ごしでしょうか。最近池袋でも集会を始めた、光が丘キリスト教会の牧師、尾崎純です。
マタイによる福音書7章24節からのところで、キリストは、人の生き方を家の土台にたとえました。家の土台は普段、外からは見えない部分です。それを取り上げたのは、人生には、嵐が襲ってくることがあるからです。
嵐の時に問われるのは土台です。人生の嵐というものは、いつも心配していなければならないものではないでしょう。キリストも、そういうことがある、という言い方をしています。しかし、人生には、本当に自分が奥底まで問われ、そして、もうそれきり倒れてしまうということもあるということなのです。
岩の上に家を建てるのは楽なことではありません。岩を平らにしなければなりませんし、その岩に杭を打ち込まなくてはならないでしょう。砂の上ならそれは簡単なことです。しかし、人生の嵐にあっては、普段は隠れているところが問われます。土台に当たるところで努力することを避けていたら、人生がダメになってしまうこともあるのです。
キリストはご自分の言葉を聞いて行うことが、岩の上に家を建てることであると言いました。私たちは今、キリストの言葉を聞いています。しかし、聞いているだけではいけないとキリストは言います。聞いて、行う。つまり、キリストの言葉に真実があると受け止めて、その言葉を生きることが、岩の上に家を建てることなのです。