ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井良一です。
「終わりよければすべてよし」ということわざがあります。「始めたきっかけや、途中の経過がどうであろうと、結果がよければすべてはよいことになる」というのがその言葉の正しい意味だそうです。だから終わりは肝心なのです。せっかく努力しても終わりが悪ければ、すべての努力が水の泡となってしまう可能性があるからです。
聖書はこの世界にも、そして私たちの人生にも必ず終わりの時が来ることを教えています。しかも、その終わりは必ずすばらしい終わりになるとも教えているのです。なぜならこの終わりのために救い主イエスが私たちのところに来てくださったからです。このイエス様の救いの御業によって、私たちの人生の終わりは素晴らしいものとされているのです。
それでは、この終わりを信じる私たちは今をどう生きることができるのでしょうか。イエス様によって終わりがよいと決まっているのですから、私たちは日々の努力が無駄にならないことを確信することができます。私たちの人生で起こるすべてのことは、イエス様によって何一つ無駄になることはないことを知らされているからです。だからイエス様を信じる私たちは「終わりよければ、今日もよし」と生きることができるようにされるのです。
聖書の言葉「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」コリントの信徒への手紙一15章58節