ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井良一です。
私たちは神さまを信じていても、失敗を犯して、がっかりすることがよくあります。そのとき私たちは「これでも私は神さまに救われているのかなあ。」とか、「神さまに見放されたら大変だ。」と思ったりして、神さまと自分との間の距離感を感じることがあります。しかし、聖書に登場するパウロという人物はそう考えていなかったようです。パウロも神さまに従うことができない自分を知って「自分は惨めな人間だ。」と思うようなときがありました。
ところが、パウロはそんなときでも神さまを身近に感じることができたのです。どうしてでしょうか。パウロはそんな惨めな自分のために、神さまが救い主イエスを遣わしてくださったことを知っていたからです。パウロは神さまの前で罪を犯すばかりの自分のために、十字架にかかってくださったイエス様を思い出すことができました。
このパウロは、私たちもイエス様を通して、神さまと自分との関係を考えることを勧めています。神さまは、惨めな私が神さまに感謝して生きることができるように、救い主イエスを遣わしてくださいました。このイエス様を通して私たちはどんなときも神さまを身近に感じるこができるようにされているのです。
聖書の言葉「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」ローマの信徒への手紙7章24-25節