いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会牧師の川栄智章です。
ペリシテ人に奪われた契約の箱は、ペリシテ人の町の行く所々において大きな災いをもたらし、ペリシテ人は、契約の箱の前に完全に降伏し、どのようにして箱を元の場所に返却できるか協議し始めました。
その結果、ただ箱だけ送り返すのではなく「賠償の献げ物」を共にして送り返そうということになりました。そして彼らの考える得る最善の方法によってイスラエルの祭司の町ベト・シェメシュに箱を返すことに成功しました。一方、ベト・シェメシュの人々は、契約の箱が帰って来たと喜びましたが、次の瞬間、彼らの内の70人が打たれるという悲劇が起こります。彼らが、鍋の蓋を開けるかのように、箱の中を覗いてしまったからです。彼らは叫びました。
「この聖なる神、主の御前に誰が立つことができようか。我々のもとから誰のもとへ行っていただこうか。」(サムエル上6:20)
この声は、以前ペリシテ人が叫んだ声と全く同じです。神の御前に立つことを当然のように考えたりしてはなりません。万物の創造主であられ、全知全能の神と、人間との間には深い断絶が存在し、人はただ、御前に恐れを持って仕えるだけです。聖なる神の御前に立つための資格を持つ人は誰一人いません。キリスト者が神の御前に立ち、神を父として祈ることが許されているのは、イエス・キリストの功を通してであり、それは権利ではなく、一方的な恵みによることを覚えましょう。