いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会牧師の川栄智章です。
イエス様が逮捕された後にペトロは躓き、3度もイエス様を否定してしまいました。(マタイ26章参照) 特に3度目の否定では、イエス様を呪いながら、「人でもないこんな奴と私に何の関係があるのか!誓ってもいいが、俺はこんな奴、知らない!」というような感じで否定しました。
私たちには、一番弟子であるペトロこそイエス様を呪われるべき者と断罪し、十字架刑に引き渡しているように見えます。次の瞬間、鶏が鳴き、ペトロは「鶏が鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエス様のお言葉を思い出しました。
それと同時に自分の弱さ、自分の罪深さ、自分の愚かさを痛感することになりました。ペトロは外に出て、あまりにも情けない自分の姿のゆえに激しく泣きました。この時、悔い改めたということではありません。なぜならわざわざ外に出て、人目をはばかりつつ泣いているからです。
しかし、心が破られ、言いようのない悲しみと絶望に落とされました。イエス様を否定し、十字架に引き渡したのは、他でもなく、まさに自分であったという悲しみです。自分が全き罪人であって、自分の内に誇れるものは何もないという絶望です。私たちの人生にも同じようなことが起こりますが、絶望と悲しみを通して、初めて自分には救いが必要であることを悟り、キリストの十字架の贖いをはっきりと心に刻むことができるのです。